映画『マスターズ・オブ・ユニバース』を観に行ってきました。
やはりこの手の作品は、映画館で観る意味が大きいと感じます。大画面で浴びるアクション、宇宙規模のファンタジー、そして大音量で響くテーマ曲。細かい理屈よりも、「強いヒーローが立ち上がる瞬間」を劇場の音と映像で楽しむ作品でした。
まず印象に残ったのは、日本語吹替版のキャストです。
主人公アダム/ヒーマンの吹替は鈴木崚汰さん。穏やかで少し頼りない青年としてのアダムと、力を得た後のヒーマンとしての堂々とした雰囲気の差が分かりやすく、主人公として入り込みやすかったです。
宿敵スケルターは杉田智和さん。ドクロの顔にフードという、いかにも悪役らしい異形のビジュアルですが、演技は単に怖いだけではありませんでした。不気味な笑い方、悪役らしい芝居、そして時々混じるコミカルなニュアンスが印象的で、スケルターというキャラクターの濃さをかなり引き立てていたと思います。
ダンカン/マン・アット・アームズはイドリス・エルバが演じ、吹替は東地宏樹さん。声の安定感が非常に強く、戦士としての頼もしさと、ティーラの父親的な存在としての落ち着きがよく出ていました。
ティーラは、アダムと共に旅をする戦士として登場します。子供時代から時間が経ち、再会した時にはかなり大人びて、強くなっている印象でした。アダムを支えるだけではなく、彼を現実に引き戻す存在としても機能していたと思います。
個人的にかなり好きだったのは、ロボトです。
名前だけ聞くと、単なるロボットのようにも思えますが、本作では「ロボト」というキャラクターとして登場します。最初は家事手伝いでもするのかと思いきや、実はしっかり戦闘用でもある。そのギャップが面白く、ダンカンとのやり取りも楽しいポイントでした。終盤の扱いも含めて、見終わった後に意外と印象へ残るキャラクターだったと思います。
ほかにも、フィスト、ラム・マン、メカネックといった仲間たちが登場します。このあたりは、もともと玩具としての分かりやすさを持ったキャラクターたちなのだと思いますが、それぞれの特徴がかなり明快です。
特にメカネックは、首が伸びるというかなりユニークな戦闘スタイルでした。冷静に考えると「頭や首は大丈夫なのだろうか」と思ってしまうのですが、その分、一度見たら忘れにくいキャラクターでもあります。素顔が分かりにくいタイプのビジュアルでしたが、後から演じている俳優さんを見て、印象が変わったキャラクターでもありました。
ラム・マンやフィストも、少し笑いを誘うような部分がありつつ、戦う時にはきちんと頼もしい。そうした“分かりやすい個性”が、この作品の魅力の一つだと思います。
ここから先は、ストーリーにも触れるのでネタバレありです。
物語は、惑星エターニアの王子として生まれたアダムが、幼い頃の戦乱によって地球へ送られるところから始まります。父親との間に少し距離を感じさせつつ、スケルターの脅威から逃れるために故郷を離れ、一人地球で成長していく。その導入は分かりやすく、全体的にテンポも良かったです。
成長したアダムは、地球で普通の生活を送りながら、失われたパワーソードを探し続けています。しかも、彼の仕事が人事系という設定なのが少し面白いところでした。宇宙の王子でありながら、地球ではかなり現実的な仕事をしている。そのギャップが、アダムの人柄や不器用さを見せる役割にもなっていたと思います。
やがてアダムは地球で襲撃を受け、ティーラと再会し、故郷エターニアへ戻ることになります。しかし戻った先のエターニアは、かつての故郷というより、スケルターに支配されて荒廃した世界でした。アダムにとっては、自分が離れていた時間の重さを突きつけられる場面でもあったと思います。
パワーソードを手に入れるまでの流れは、かなりコミカルな部分もあります。一方で、剣を手にした後のヒーマンは、想像以上に強い。ほとんど無双に近い勢いで敵を圧倒していくので、細かい戦略というより、「圧倒的な力を持つヒーローを見る楽しさ」が前面に出ていました。
個人的には、その強さがかなり印象的でした。体感としては、スーパーマン級、あるいはそれ以上に見える瞬間もあります。もちろん厳密な強さ比較ではなく、あくまで映画を観ている時の印象ですが、それくらい力の表現が大きかったです。
ただ、アダム自身はその力を「剣が与えてくれるもの」だと思っている。ここが後半の見どころにつながっていました。ソーサラスによって、力の本質が剣だけにあるわけではないと示されていくことで、アダムが単に武器を手に入れた青年ではなく、自分自身の内側にあるものを受け入れていく話になっていたと思います。
敵側については、スケルターの存在感がやはり大きいです。スケルター本人は恐ろしく、魔法の杖を使う場面ではかなり強力に見えます。一方で、周囲の部下たちはどこか頼りなさやコミカルさもあり、その差が作品全体の明るさにつながっていました。子供も楽しめる王道ファンタジーとしての分かりやすさは、このあたりにあるのだと思います。
中盤以降は戦闘シーンも多く、仲間たちが集まり、団結して敵に立ち向かう流れになります。一度は捕まり、追い詰められながらも、仲間と共にもう一度立ち上がる。かなり王道ですが、この作品にはその王道が似合っていました。
終盤のスケルターとの戦いも、細かい駆け引きというより、ヒーマンとして覚醒したアダムの強さを見せる場面だったと思います。スケルター側も魔法によってかなり強そうに見えるのですが、それでも最後はアダムが「力は自分の中にある」と気づき、ヒーマンとして戦い抜く。ここは作品のテーマとしても分かりやすくまとまっていました。
そして最後に、仲間たちと共に自分がヒーマンであることを受け入れる流れまで含めると、この一作でかなり綺麗に完結していた印象があります。久しぶりに、難しく考えすぎずに楽しめる王道ファンタジーを観た感覚がありました。
ただし、エンディング後のシーンを見る限り、続編への布石もかなり明確です。
アダムの双子の姉妹であるアドラ、つまりシーラを思わせる人物が示唆されます。さらに、イーブル・リンがスケルターの頭蓋骨を回収する場面もあり、スケルターがこのまま終わるとは考えにくい作りでした。
本編だけでも十分にまとまっていますが、あの終わり方を見ると、続編ではアダムとアドラ、そしてスケルターの復活が大きな軸になるのではないかと期待してしまいます。
全体としては、細かい整合性を厳密に追うよりも、ヒーロー、剣、魔法、仲間、宿敵、覚醒という要素を大画面で楽しむ作品でした。大音量でテーマ曲を聴き、ヒーマンの圧倒的な力を劇場で浴びる。それだけでも、映画館で観た価値はあったと思います。


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